バカ夫婦

東京の片隅に暮らすアラフィフ子無し夫婦(ハゲとドジ)のどうでもいい話

民藝の100年に思うこと

どうも。ポンコツのポン子こと小象です。

 

とうとう、東京も感染者数2万人を超えました。

それでも経済を止めたくないから緊急事態宣言は出ない、と。

感染対策に気を付ける日々ですけれど。

気を付けていてもどこでかかるかわからない。

美術館も行きたいけれど、人混みの中にいくのはちょっと…とはばかられる昨今。

 

でも、どうしても行きたい展覧会があったのですよ。

かつてカーサ・ブルータス柳宗理特集をやっていたころ(もう20年くらい前?)、

柳プロダクトにはまった世代としては(あのころ、オシャレカフェのカトラリーといえば、柳宗理でした)。

また、ちょっと前に鞍田 崇さんの本も読んだりしていたこともあり。

 

 

東京国立近代美術館で開催中の「民藝の100年」です。

mingei100.jp

 

改めて、どーんと時系列で見せてもらうと、圧巻ですね。

しかもあれじゃないですか。ある意味、元祖「同人」のすごい人ですよね。

仲間たちと、知りたいこと、興味あることを追求し、

それを「雑誌工藝」「月刊民藝」といった機関誌として出版し、

あつめてきたものを見せる場として日本民藝館があり、

さらに作家たちの作品を買い取ってそれを販売する匠工藝館があるという。

出版、展示、物販の理想的な三位一体のモデルプランを、

既に戦前に構築していたことへの驚き。

 

そして、単に日本の民具などに価値づけするということではなく、

バーナード・リーチという「外の目」を持つことで、

戦前からとても先鋭的な比較文化研究がされていたのだな、というのを

改めて知れたのが収穫でした。

 

ツイードのスーツを着たオシャレ軍団。

調査で訪れた地方で、職質に合ったというエピソードに、

ケンミンショーで「スーツの人は怖い。悪い人にちげえねぇ」と

言っていた農作業中のおばちゃんを思い出しました。

 

それと、民藝以外にも、いろいろな地域発見的な活動ってあったみたいだけれど、

それらと民藝の一番の違いは、バーナード・リーチの存在だったんじゃないかな、と

思うのです。

民藝にはリーチがいた。彼がいることで、「外の目」を持ち、

比較文化的な思考を持つことができたのではないかな、と。

展覧会のキャッチコピーに「ローカルであり、モダンである」とありますが、

私としては、ローカルだけどグローバルで、それでいてパーマネントな、

そしておこがましい言い方になりますけれど、

私が同人活動で行っている日本とフランスの差異をアニメやマンガから読むこと、

というのも、どこかで通じる思考があるんじゃないかな、と思った次第。

 

まぁ、こっちは泡沫同人ですので、「一緒にすんなよ」だと思いますけど。

 

ちょっとエネルギーをもらえました。

コロナが落ち着いたら、民藝の聖地、島根に行きたい・・・。

 

 

それと、山形出身の両親をもつ身としては、

羽広鉄瓶が山形のものだと、今更ながら知りました。